惜別ジャンボ 国内線専用機-400D退役フライト 第3回那覇-羽田 JAL1024便
2011-02-27 23:01:28
旬感旅行「惜別ジャンボ 国内線専用機-400D退役フライト」は2日目に。
と思ったら沖縄地方は生憎の雨。
早朝から一時間ほど瀬長島で撮影しようと思っていたけど断念。
早起きしたので、そのまま那覇空港へ。
あっ、滑走路のさらに先にジャンボがいる!
しばらく待っていたら、、、トーイング開始!
スポット26へトーイングが完了しました。
この間、約15分。到着機も出発機もいない時間帯を選んでのスムーズな移動でした。
チェックインカウンター近くの掲示板には管制用の便名 JAL4904 での表記が。
○ってことは空席あり!?
3階中央の掲示板には愛称便名の JAL1024 での表記が。
ANAの東京行きと便名が似てて管制が取り違えしそう。
搭乗待合室に移動。
トーイングを終え、最後のフライトを待つジャンボがいました。
後ろにはANAのジャンボも。ANAは2015年度まで運航するようですね。
最終便の航路説明。
那覇空港離陸後、一気に上昇せずに1000ftを維持する理由が説明されました。
一気に離陸すると嘉手納基地への進入機(2000ft)に接近するため高度制限がつくそうですが、、、
んん?以前、嘉手納ラプコンが返還されたから制限が解除されたという話を聞いたんだけど…まだ制限付きなのか。
ちなみにこの日は、制限がキャンセルされ一気に上昇しています。
搭乗。そしてプッシュバック。
小雨の降る中、那覇空港のスタッフがお見送り。
ジャンボが出たあとに上の写真のB777-300(JA752J)がスポット26へスポットイン。
どおりで搭乗するとき「定時出発にご協力下さい~」とえらく急かされたわけだ、、、
(ちなみに定刻より17~8分遅れてのブロックアウトだったはず…。みんななかなか乗らないからね)
Rwy36へタキシング。
途中、JTAの地上スタッフもお見送り。おっ、マブヤーだ。
離陸滑走。
那覇空港の消防所からも放水でお見送りを受けました。
そして上昇。
JTAハンガーのスタッフたちも総出で手を振っていました。
離陸してシートベルトサイン消灯後、CAさんは相変わらずサイン攻めに。
雲の上を順調に飛行。
ジャンボの退役は老朽化が原因ではなく、まだまだ飛べる機体だけに惜しい。
最後の着陸の瞬間が刻々と迫ってきます。
最後に、この旅で総合案内役を務めた澤木機長が「ダッシュ400型機が最後のフライトを終えます」とアナウンス。
その声が涙ぐんでました。
ジャンボへの思い入れというのは、ツアー参加者もそれぞれあるだろうけど、運航に携わった人たちは厳しい訓練の末この大きな機体を何年にも渡って運航してきただけあって格別なんだろうなぁ。
羽田が近づくにつれて気流が悪化。少し早めのシートベルトサイン点灯となりました。
そしてRwy34Lへ着陸。機長が予告していたとおりジャンボを労うようなソフトなランディングでした。
名残惜しい中、降機。
JALロゴの下には今回のフライトのために付けられた「41年分のありがとうをジャンボに乗せて」の文字が。
この時使われたタラップは屋根なしのもの。
各国の大統領や要人が来た際に使われるやつですね。ちょっとVIPな気分。
ここでもお出迎えの横断幕が。
羽田降機後は、撮影会などはなく、すみやかにバスに乗って到着ロビーへ移動。
やっぱり羽田のような超過密空港はいろいろと制限があって融通が利かないんでしょうね。
ツアーとしてはこれで終了。
手荷物受取所で、2日間で知り合った人たちにお別れの挨拶。
そして皆、それぞれの帰路へと別れていきました。
で、ワタクシは帰りの飛行機までかなり時間があったので国際線ターミナルへ行ってみました。初の国タミです。
展望デッキに出てみたら、先ほどフライトを終えたジャンボがトーイングされていました。
1タミの展望デッキにも相当数のギャラリーがいますね。
バックで格納庫へ。
ありがとう、さようなら。
これでJALジャンボの国内線機材が全機退役となりました。
3月1日には国際線も退役となるため、自分がJALジャンボを撮るのはこの絵が最後になりました。
ちなみに下の写真は自分が撮ったJA8084の中で一番古いもの。
ヒコーキを撮り始めて2ヶ月の頃。尾翼が柱に隠れてもそのまま撮る辺りが初々しい。
2002年5月19日撮影@羽田空港
あとは帰りです。
広島へのフライトはJAL1619便(MD-90/JA8065)。
初のD滑走路からの離陸でした。
タキシング中、格納庫の前を通ったのでジャンボが見えるか!?と期待したけど既に扉が閉まってました…
そして広島空港に到着。
D滑走路からの別の離陸機がバードストライクを起こしてしばらく滑走路が閉鎖されたため、ちょっと遅れです。
この旅ではたっぷりとフライトを満喫し、いろんな人とも知り合えました。
とても楽しく、とても有意義で、そしてジャンボとの別れを淋しく思う2日間でした。
と思ったら沖縄地方は生憎の雨。
早朝から一時間ほど瀬長島で撮影しようと思っていたけど断念。
早起きしたので、そのまま那覇空港へ。
あっ、滑走路のさらに先にジャンボがいる!
しばらく待っていたら、、、トーイング開始!
スポット26へトーイングが完了しました。
この間、約15分。到着機も出発機もいない時間帯を選んでのスムーズな移動でした。
チェックインカウンター近くの掲示板には管制用の便名 JAL4904 での表記が。
○ってことは空席あり!?
3階中央の掲示板には愛称便名の JAL1024 での表記が。
ANAの東京行きと便名が似てて管制が取り違えしそう。
搭乗待合室に移動。
トーイングを終え、最後のフライトを待つジャンボがいました。
後ろにはANAのジャンボも。ANAは2015年度まで運航するようですね。
最終便の航路説明。
那覇空港離陸後、一気に上昇せずに1000ftを維持する理由が説明されました。
一気に離陸すると嘉手納基地への進入機(2000ft)に接近するため高度制限がつくそうですが、、、
んん?以前、嘉手納ラプコンが返還されたから制限が解除されたという話を聞いたんだけど…まだ制限付きなのか。
ちなみにこの日は、制限がキャンセルされ一気に上昇しています。
搭乗。そしてプッシュバック。
小雨の降る中、那覇空港のスタッフがお見送り。
ジャンボが出たあとに上の写真のB777-300(JA752J)がスポット26へスポットイン。
どおりで搭乗するとき「定時出発にご協力下さい~」とえらく急かされたわけだ、、、
(ちなみに定刻より17~8分遅れてのブロックアウトだったはず…。みんななかなか乗らないからね)
Rwy36へタキシング。
途中、JTAの地上スタッフもお見送り。おっ、マブヤーだ。
離陸滑走。
那覇空港の消防所からも放水でお見送りを受けました。
そして上昇。
JTAハンガーのスタッフたちも総出で手を振っていました。
離陸してシートベルトサイン消灯後、CAさんは相変わらずサイン攻めに。
雲の上を順調に飛行。
ジャンボの退役は老朽化が原因ではなく、まだまだ飛べる機体だけに惜しい。
最後の着陸の瞬間が刻々と迫ってきます。
最後に、この旅で総合案内役を務めた澤木機長が「ダッシュ400型機が最後のフライトを終えます」とアナウンス。
その声が涙ぐんでました。
ジャンボへの思い入れというのは、ツアー参加者もそれぞれあるだろうけど、運航に携わった人たちは厳しい訓練の末この大きな機体を何年にも渡って運航してきただけあって格別なんだろうなぁ。
羽田が近づくにつれて気流が悪化。少し早めのシートベルトサイン点灯となりました。
そしてRwy34Lへ着陸。機長が予告していたとおりジャンボを労うようなソフトなランディングでした。
名残惜しい中、降機。
JALロゴの下には今回のフライトのために付けられた「41年分のありがとうをジャンボに乗せて」の文字が。
この時使われたタラップは屋根なしのもの。
各国の大統領や要人が来た際に使われるやつですね。ちょっとVIPな気分。
ここでもお出迎えの横断幕が。
羽田降機後は、撮影会などはなく、すみやかにバスに乗って到着ロビーへ移動。
やっぱり羽田のような超過密空港はいろいろと制限があって融通が利かないんでしょうね。
ツアーとしてはこれで終了。
手荷物受取所で、2日間で知り合った人たちにお別れの挨拶。
そして皆、それぞれの帰路へと別れていきました。
で、ワタクシは帰りの飛行機までかなり時間があったので国際線ターミナルへ行ってみました。初の国タミです。
展望デッキに出てみたら、先ほどフライトを終えたジャンボがトーイングされていました。
1タミの展望デッキにも相当数のギャラリーがいますね。
バックで格納庫へ。
ありがとう、さようなら。
これでJALジャンボの国内線機材が全機退役となりました。
3月1日には国際線も退役となるため、自分がJALジャンボを撮るのはこの絵が最後になりました。
ちなみに下の写真は自分が撮ったJA8084の中で一番古いもの。
ヒコーキを撮り始めて2ヶ月の頃。尾翼が柱に隠れてもそのまま撮る辺りが初々しい。
2002年5月19日撮影@羽田空港
あとは帰りです。
広島へのフライトはJAL1619便(MD-90/JA8065)。
初のD滑走路からの離陸でした。
タキシング中、格納庫の前を通ったのでジャンボが見えるか!?と期待したけど既に扉が閉まってました…
そして広島空港に到着。
D滑走路からの別の離陸機がバードストライクを起こしてしばらく滑走路が閉鎖されたため、ちょっと遅れです。
この旅ではたっぷりとフライトを満喫し、いろんな人とも知り合えました。
とても楽しく、とても有意義で、そしてジャンボとの別れを淋しく思う2日間でした。